スポーツ、特に球技が盛んな町でした。野球、バレー、サッカー、卓球、テニスなど20団体があり、基本的には週1回は練習するなど、活発に活動していました。双葉郡総合体育大会や県民スポーツ大会という地域の大会にも積極的に出場していたほか、町内では職域対抗スポーツ大会(職場でチームを作って参加する)・地区対抗スポーツ大会(各地区から選抜されたメンバーが参加する)という各種大会が7種目で行われていました。今年2020年で第64回目を迎えた盆野球大会もこの時からずっと行われていましたし、今は行っていないですが、当時はゆずの里ロードレース大会(町内を回る10㎞マラソン)もやっていました。全世代がスポーツに関わっていましたね。
2011年3月11日は、私は休日でいわき市にいました。車で楢葉町に帰る際、国道6号線で帰ろうとしましたが、大きな地震の後なので津波が来るのでは、と思い県道35号線にとっさに替えました。今思うと、あの時そう思っていなかったらどうなっていたかわかりません。国道6号線は津波の被害を受けたので。県道35号線も途中で道路が崩れていて、バックして別の道路で帰った記憶があります。息子の幼稚園の帰りのバスが橋の真ん中で動けなくなるなど、本当に紙一重で命が助かったという経験をしました。
その後、楢葉町に戻ってからは消防団としてあわただしく作業をしました。ワゴン車で老人ホームの2名をいわき市に運ぶ役割を引き受け、いわき市の小学校に送り届けたところ、原発の影響で楢葉町に帰れないことが分かり、避難生活がスタートしました。
避難生活が数か月続いたころ、『何か体育協会としてできることはないか…』と日々考えており、伝統ある盆野球大会だけは何とかやりたいと思っていました。ちょうど、町民からも『今年の盆野球はどうするんだ』、『野球をやりたい』という声が上がりました。それが2011年の6月です。そこで、避難先のいわき市で盆野球大会をやろうと決心しました。体育協会の通帳も楢葉町に置きっぱなしで、グラウンドの使用料を払うめどもつかない中、副町長といわき市のグラウンド管理者にお願いし、使用料を減免してくれるようお願いをしました。快く引き受けてくださって、場所を確保することができました。
その後参加者を集めるために、私個人の携帯にある連絡先に一件一件電話しました。どこに避難しているかもわからない中、電話だけが頼りでした。結果的には4チームも集まりました。当時は、町内に野球チームは10チーム以上あったので、参加チームは半分以下だったけれども、それでも集まってくれて本当にうれしかったです。
震災後、この大会を通して初めて会えた人もいました。『よくこの大会をやってくれたな』という声をもらい、本当にやってよかったと思っています。
この後も帰町するまで、3年間いわき市で楢葉町盆野球大会を開催しました。震災があっても、一度も途切れずに開催でき、伝統を守ったと自負しています。ある年は、盆野球大会の開催日にいわき市の中学校の大会が予定されていたのですが、いわき市の方で開催日をずらしていただくなど、全面的に協力していただきました。その恩を返そうと思い、2015年にいわき市で開催された野球U15の世界大会の際には、グラウンド整備のお手伝いをさせてもらいました。恩返しが出来て嬉しかったですね。
また、野球以外では、仮設住宅に高齢者がこもっている現状を聞いて、仮設住宅の広場でゲートボール大会を開催したことがあります。当時私は役場の生活支援課で働いており、ゲートボールを楽しそうにやっている高齢者を見かけたのがきっかけです。大会をやろうと言ったら、皆さん喜んでくれて、15人ほど参加してくれました。
2015年に避難指示解除となってすぐに楢葉町に戻りました。帰町して真っ先に、野球を楢葉でやりたいと思って、グラウンド整備をはじめました。当時は体育協会職員が自分1名しかいなかったので、除染作業後のグラウンドに黒土を入れる作業や、土を均して芝を張る作業を全部自分でやりました。それを新聞社が聞きつけて取材に来てもらいました。確か、『このふるさとでまた野球がしたい。戻ってこられてすごくうれしく思う。』という旨を述べた気がします。
このような経験があるので、町のスポーツ、特に野球に対する思い入れはずっと強く持っていて、この伝統を絶やさず、ずっと続けたいと思っています。自分をはじめとして、楢葉の人は本当に野球が好きなんだなあと思います。新聞社の方が来たときに、周りの人に野球バカと言われたけど、本当にそうだね笑
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